小学生の頃からクルマが大好きな少年でした。
小さいころからスポーツカーが好きで、子供の頃から都内の外車屋を回り写真を撮り歩いていました。
それから何十年、現在は好きな自動車関係の仕事に就けてとても幸せです。モータースポーツに憧れ、20歳の時、小さかったころから興味があったラリーの世界に入りました。3年間ラリー漬けの日々を送り充実していましたが、レースのルールが変わったことで、自分の車両が競技に出場することができなくなり、泣く泣くモータースポーツから離れることになりました。
現在は若い人がモータースポーツを楽しむお手伝いをさせていただいています。当店主催で年間4回開催しているレーシングカートの体験会で、初めて乗って興奮している方を見るのが、楽しみになっています。そんな若い人をこれからも応援していきたいです。
私は、今でこそ在庫車両を置かない販売スタイルが好評で、「想いをつなぐ代行販売」と「ここまでやるか!の注文販売」という2つの販売方法が、地元を始め全国から多くのお問い合わせを頂くようになっていますが、今のスタイルを確立するまでにはたくさん辛いことも経験してきました。
私はホンダディーラーの営業マンでした。ホンダの新車を売り始めて4年目、前年の売れない1年間を乗り越え、自分なりにやっと営業というものが分かり始めた矢先の出来事です。
週末に行われていた新車の展示会で、お客様と商談をしていて、ご契約頂く為に値引き枠を増やしてもらうと店長に相談した時の出来事です。
店長は大声で「どうしてお前はそうなんだ!」と、怒鳴りながら折りたたみ椅子を投げてきたのです。
2000年、ホンダディーラーでのできごと。
ディーラーでは数年に一回、店長の異動があります。私の在籍していた会社はメーカー資本が入っていたため、本田技研からの出向店長も派遣されてきます。今回赴任してきた人も、鳴り物入りでメーカーから出向してきたやり手の店長でした。
「俺はこの店を立て直しに来た!」と、そのメーカーから出向してきた店長は自信たっぷりに宣言しました。その日から地獄の日々が始まりました。お客さんの自宅へ訪問していると「店を放っておいてどこへ行っているんだ!!」と、携帯電話に電話が入ります。さらに日曜日の夕方、約束している来店予定のお客様を待っていると「どうして見込み客を訪問しないんだ!」と怒鳴られるのです。
朝のミーティングでは、資料を取ろうと下を向いて自分のバックに手を伸ばした瞬間「どこを見ているんだ!」と、マーカーが飛んでくる始末です。朝から晩まで、仕事に関係あることや仕事に関係無いこと、なんでも構わず怒られていました。生きた心地がしない日々が続きました。当然、こんな状態では良い仕事はできません。毎月の販売台数は落ち込み、苦しい日々を過ごしていました。
そんな酷い環境で1年過ごしつつも、歯を食いしばってお客さんへのサービスを行っていた所、お客様に認められることはどういうことか、少しずつ分かってきました。お客さまの使用環境に合わせて、オイル交換のお知らせをしたら喜んで頂いた事もありました。毎回お客様の帰宅時間に合わせて納車や引き取りを行っていた所、「私のことをよくわかっている営業さんだから安心です」と言っていただいたこと。一時期は落ち込んでいた営業成績も上向いてきて、店長に対しても「これで認めてもらえる!」と自信が付いてきた所でした。
メーカー出向の店長が赴任してきて2年が過ぎ、つらい毎日ながらも自信が本物になってきました。多くのお客様に信用していただき、春には年間ノルマの半分近くまで契約台数を伸ばしてきました。 ところが・・・
「秋田さん、明日本社へ行ってください」
そんなある日、店長から冷たい言い方で本社に行くよう告げられたのです。あの時の店長の冷めた目つきは今でも忘れられません。いやな予感を持ちつつも本社へ行くと、営業部長から「あなたは店長と協調できないようなので、今月いっぱいで辞めてください」と、死刑宣告を受ける事になりました。
苦しい時期を乗り越えてお客様にも認めて頂き、やっと自動車のセールスという楽しさが分かってきたところなのにも関わらず、辞めろというのです。数字だって悪かったわけではありません。常に計画以上の販売を行ってきたのに・・です。お客様が自分を認めてくれたことがわかりはじめて、これから飛躍できると信じていたのにも関わらず、会社は社内の人間関係だけをみて「辞めてくれ」と言われたのです。
「多くのお客様に認めてもらってきたのにこのまま辞めなきゃならない。そんなことは嫌だ、自分を認めていただいたお客様を裏切るようなマネはしたくない!」そんな思いと葛藤した末、地元でクルマ屋を続ける決意をしました。それから一年間は地元の中古車販売店でお世話になり、周りの人にも助けられ2001年夏に「ヴィークルストーリー」をオープンすることができたのです。
2001年7月20日、意気揚々とオープン。「店長の顔色をうかがう事も無く、自分の思い通りに顧客サービスができる!」と思い、本当に自分のやりたかったきめ細かい顧客サービスを開始しました。創業してしばらくは、順調に展示しているクルマも売れて、自分の経営にも自信がついて来た頃・・。
今でこそ、多くのお客様に頼られて新車の販売から車検整備などのメンテナンスまでご依頼頂けるお店になっていますが、創業当初は、お客様の数も少なかったため、販売台数も大きくブレてしまい、経営的には安定していませんでした。時期によっては計画を下回るような販売しかできないことが続く事もありました。
売上げが減少した時には、自分なりに様々な販売方法を試行錯誤してみましたが、単にクルマを並べても急に売れるわけではありません。安いクルマだけを並べても良い結果にはなりませんでした。それならばと、バンやトラックなどを並べてみることもしてみましたが、思うように売れるわけではありません。そんな時に、リーマンショックに襲われました。それから年が変わるまでの約3か月、売れたのはたった1台だけです。
ホンダディーラーで比較的良い成績をあげていたとはいえ、経営者としては素人同然です。このような状況になった時にどのように対処すれば良いかは全くわかっていませんでした。弱気になり、正直に言って倒産の危機だと感じました。
そんな私を助けていただいたのは、ホンダディーラーの肩書を外したあとも変わらず笑顔で接していただけるお客様でした。2009年の暮れ、営業マン時代からお付き合いをさせていただいている、もはや友人のような小野瀬さんに、苦しい状態を話しました。
「あと、1・2カ月こんな状態が続いたら、店を閉めます」
経営者として、お客さんに弱気な心情を吐露することは、良い選択だったとは思えません。しかし、苦しい気持ちを誰かに聞いてもらいたかったのかもしれません。小野瀬さんは、私の話を黙って聞いてくれていました。
そんな厳しい年も明けてしばらくした頃、1本の電話がヴィークルストーリーにかかってきました。その電話の相手は、去年苦しい胸の内を聞いていただいた、小野瀬さんでした。 「知り合いを2人紹介するからさ! 今年新卒で免許を取る子供のクルマを探してやってくれるかな。」
泣きました・・・
これがきっかけで、他のお客様からも次々にご注文を頂く事ができるようになったのです。ヴィークルストーリーは、お客様に救われてピンチを切り抜けることが出来たのです。本当に、お客様は私の財産です。
そんな苦しい時期もありましたが、今では
「車検なのでクルマを取り替えようと思うの。100万円でクルマを見つけて!」
「子供が免許を取ったので、クルマを探して!」
「友人がクルマを探しているので紹介するよ!」
と、ひっきりなしにお客様からの連絡をいただくまでに成長することができたのです。
当店の主力サービスは注文販売です。
これを再確認した私は、さらに安心してお客さまが目の前にないクルマを注文できるよう、仕組みを作ることに取り組みました。
お客様に育てていただいた注文販売とは、あなたがご希望する中古車を、家に居ながらご用意するサービスのことです。
プロの目で見た間違いの無いクルマを全国の市場から探し出し、ご用意いたします。現在では、ヴィークルストーリーの販売する中古車のうち、約半分はこの注文販売です。お付き合いをして頂いているお客様に育てて頂いたと言える注文販売です。
リーマンショックの前後に始めたのが、代行販売あらため「想いをつなぐ代行販売」です。 代行販売とは、お客さんの所有しているクルマを、お客さんに変わって販売してあげる事です。委託販売ということもあります。ヴィークルストーリーがこの代行販売を始めた当初は、他店でも行っている、お客さまのクルマを右から左へ流すだけのサービスであると認識されていました。
ヴィークルストーリーの「想いをつなぐ代行販売」は、中古車販売店以上に整備を行い、内外装を仕上げて販売しています。もちろん保証も注文車と同様にお付けします。
ブログでこのことを書き続けているうちに、お会いしたことの無いお客さまから、ヴィークルストーリーの「想いをつなぐ販売」への、販売依頼をいただくようになってきました。集まってくる車は、ビックリするほど状態の良いクルマ。一目見ただけで、大切にしてきたことが分かるクルマ達です。
「ヴィークルストーリーの代行販売は他とは違う」とうわさになり、認知されて来るようになりました。こういうことはご縁ですので、すぐに決まったタイミングで売れないこともありますが、今までヴィークルストーリーで依頼を受け代行販売車両の多くのクルマは、全国からの引き合いがかかります。依頼していただく方も、関東一円からその外まで広がってきたのです。
一例をあげると、東京都からダイハツ・コペン、千葉県からホンダ・USオデッセイ、トヨタ・アリスト、VW・ポロ、神奈川県からミツビシ・ディアマンテワゴン、栃木県からBMW・3シリーズクーペ、同じ茨城県からニッサン・フェアレディZ、ダイハツ・ストーリアZ4、岩手県からホンダ・レジェンド、大阪府からホンダ・アコードユーロRなど。 関東一円はもとより関西地区からも、自分の愛車を当店にお預け頂けるようになりました。
ヴィークルストーリーを信用して頂き、一時的にとはいえ、大切にしてきた愛車を預ける。そんな風に、関東一円のお客様に信用していただけることにとても感謝しています。あなたとの繋がりをもっと続けていきたく、これからも私は「想いをつなぐ代行販売」と「ここまでやるか!の注文販売」を続けていきます。
社長のポリシーで、複雑な自動車登録業務や各種税金のことを自分たちで処理できるように、全て社内で行ってきました。初めは何も分かりませんでしたが、自営業を始めて10年以上経った現在、通常の車庫証明はもちろん、登記していない会社の営業所や、単身赴任で住民登録と違う場所での車検証作成の方法、税金面では、障がい者の減免申請に至るまで、かなりの知識を持つことができました。
必要な書類を分かりやすく、なおかつ必要最小限の記入で済むようご案内して、購入いただいた愛車の車検証作成までの不安を少しでも少なくするお手伝いをいたします。遠方のお客さまも、どうぞ安心してお問い合わせください!